私はこうしてプロになりました。田村信二 編 その1

作曲家 田村信二

幼少期から〜音楽との出会い

僕の最初の音楽の始まりは、小学校から習い始めたクラシックギターです。
あまり覚えていないですが、「ギターを習いたい!」と僕から言い出したそうです。実際、小学校の文集で、将来の夢は『ミュージシャン』と書いています。その前に一度オルガンを習いましたが、ほとんど続かず、すぐに辞めてしまいました。
クラシックギターは最終的に、高校3年生までの約10年間習い続けました。選択肢として、「大学に行く」か、「プロのクラシック・ギタリストを目指しスペイン修学する」か、という選択肢がありましたが、結局は大学入試前に、レッスンを辞めてしまいました。手が小さいという理由もありましたが、練習ばかりなのと、譜面通りに弾くクラシックが少しつまらなく感じていました。
高校に入ってからは兄の影響でロックを聴きだし、それに伴い益々クラシックギターから離れていきました。派手な格好や、大きな音でガンガン鳴っているロックが非常に魅力的なものに感じました。
その時期が一番音楽を聴いた時期ではないでしょうか。

渋谷陽一の「サウンドストリート」や田中正美の「ビート・オン・プラザ」は大好きで、
いつも新譜をチェックして、カセットに録音していました。あらゆるロックを聴きまくりました。
まだまだロックは不良の音楽といわれる時代ですが、だからこそ、10代の若者には魅力的だったのでしょう。
ブリティッシュロックが特に好きで、ギタリストでいうと、いわゆる3大ギタリスト(ジェフベック、エリッククラプトン、ジミーペイジ)が大好きでした。その頃からクラシックギターからエレキギターに代わり、バンド活動を始めました。


高校卒業後からプロを目指す

高校卒業後の進路は悩みましたが、最終的に一般の大学を受験しました。
東京の音楽学校も考えましたが、僕自身、アカデミックな音楽の勉強は苦手な上、あまり興味が持てませんでした。
しかし受験は見事失敗。。大学に落ちた事は非常にショックだったのを覚えています。初めての挫折です。
父親が銀行員ということもあり、予備校に行く余裕があり、浪人という道を選びました。
その1年間が後にも先にも、僕が一番勉強した時期です。その甲斐もあって、1年後、関西学院大学にめでたく入学出来ました。

しかし苦労して入った大学生活は、遊びと音楽、あとはアルバイト三昧です。あまり勉強した記憶がありません(笑)

大学時代は、中学の同級生と大学の友達と組んだバンドで、デビューを目指していました。学園祭に出たり、ライブハウスに出たり、精力的に活動していました。ヤマハの「ポプコン」や、「千里音楽祭」といったコンテストでの入賞や、「Lマガジン」といった情報雑誌での人気投票での上位入賞など、表舞台に出る為の活動も積極的でした。バンドを組んだ時からプロになることを目指していたので、オリジナル曲をどんどん作っていきました。
そして、大学3年の時、バンドでスカウトされ、上京しました。その時は、バンドデビューが夢でしたので、作曲家になるという気持ちはありませんでした。


バンドデビューと解散後の挫折

その当時は、演奏力、音楽の方向性、売り方、プロ意識等、問題はたくさん抱えていましたが、
とにかくデビューすることが目的だったので、その都度問題を解決しながら、先へ進んでいたように思います。
最終的に「ビクター音楽産業」よりギタリスト兼リーダーとして、バンドでデビューすることになります。メンバーで合宿生活や営業、ライブ等、非常に楽しい時期でもありました。
しかし、少しずつ、いろんな歯車が合わなくなっていきました。メンバー間のケンカ、事務所の売り方、音楽の方向性等々。そしてデビューして1年後くらいに解散することになります。
まあ、大人の事情が大きかったと思います。20代前半の事です。

華々しくデビューしましたが、バンドは解散。夢が崩れ、「これから先、自分はどうすればいいのだろう、何が出来るだろう?」と思い悩んだ時期です。
飛び抜けた音楽のスキルがあったわけではないので、演奏者としてやっていくことは難しいと思いました。今から考えれば、音楽業界の仕組みや、どうやればプロになれるか、といった術は全くわからず、関西からでてきた田舎者という感じだったと思います。この時期はいろんなアルバイトをやりました。
それでも音楽を仕事にするという夢はあきらめきれず、もがいていました。ただ、「自分の書くメロディ、楽曲の良さは絶対に通用する!」という気持ちだけはずっとありました。
巷に流れていた楽曲を聴いてもこれなら僕でも作れる、という根拠のない自信がプロになることをあきらめなかった理由です。


作曲家としてゲーム会社に就職

この時期、再度バンドを組んでライブをしたり、曲を作って、オーディションに参加しますが、いい結果は得られませんでした。
このままではダメだと思い、自分の中で区切りをつけるために、「30才まで頑張って、それでダメなら、音楽を続けるか考えよう」と決めましたが、結局、特に進展もなく30才になりつつも、音楽の道は諦められませんでした。
その時にたまたま雑誌で、ゲーム会社の作曲家募集の広告を見つけました。僕自身、ゲーム自体やらなかったし、「BGMなんて・・」という気持ちがありましたが、切羽詰まっている時期でしたし、「同じ音楽だから」と自分に折り合いを付け、応募したことを覚えています。
あとでわかったのですが、ゲームのオープニング等で使う歌ものの楽曲を作れる人を探していたそうで、運良く採用されました。
それから約18年に渡り、オープニングやゲーム中のBGM、効果音等、ゲームに関わる音はすべて作りました。担当した音楽は「テイルズ・オブ」シリーズ等、30タイトル以上に及びます。

次回は?→J-Pops作曲家になってから現在までのエピソードを語ります!

 

  • マスタードとは?
  • 回答者紹介

COLUMN

Backnumber

2022.01.02

サプリ記事

新作詞講座⑦〜5W1Hを使おう〜

プロが教える!​新作詞講座 第7回...

2021.08.05

サプリ記事

新作詞講座⑥〜フルサイズの歌詞を書...

プロが教える!​新作詞講座 第6回 ...

  • 会員登録

質問カテゴリ(下記カテゴリから1つをお選びください。)

楽器

音楽制作・録音

音楽活動・進路・就職

その他の質問

回答ミュージシャン

回答ミュージシャンを選んでください。

質問する

閉じる

この質問の閲覧には有料会員の登録が必要です。

有料会員登録

> 有料会員登録の流れはこちらから

会員ログイン

Email
PASS

> 新規登録はこちらから

閉じる

質問するには有料会員登録が必要です。

Email
PASS

> 新規登録はこちらから